「自分がおかしいのかも」と思ったら――ガスライティングの初期サイン
パートナーとの会話のあと、うまく説明できないのに気持ちがざわつく。自分の記憶や感じ方のほうが間違っている気がしてくる。そんな戸惑いを抱えているとしたら、それはあなたの捉え方が弱いからではありません。研究では、こうした違和感こそが、心理的な支配関係のなかで最初に現れやすいサインの一つとして報告されています。
3行でわかる
- 「自分の感覚がおかしいのかも」という戸惑いは、心理的虐待の渦中にいる人に共通して報告される反応です。
- 研究では、変化はゆっくり進むため、渦中にいる本人ほど気づきにくいことが指摘されています。
- 気づきの手がかりと、無理のない距離の取り方・相談先を、確認できた研究をもとに紹介します。
01何が起きているのか(悩みの正体)
「自分の感覚がおかしいのかもしれない」という感覚そのものが、研究では心理的虐待の渦中にいる人に共通して報告されている反応です。
ガスライティングということばは、相手の記憶や認識を混乱させ、自分の感覚のほうを疑わせてしまう状況を指す表現として広まりました。社会学者ペイジ・スウィート氏は2019年の論文で、ガスライティングを個人の性格だけの問題ではなく、力関係に差がある親密な関係のなかで起きる、ジェンダーや社会的な不平等とも結びついた現象として位置づけています。つまり「気づけなかった自分が悪い」という話ではなく、そうした関係の構造そのものに、気づきにくくする働きがある、と研究では説明されています。
この現象が厄介なのは、多くの場合、愛情のある言動と否定的な言動が入り混じった関係のなかで、少しずつ進んでいく点です。2026年に発表された心理的・社会的コントロールに関するレビュー論文では、含まれる研究の一つを引用しながら、被害者がその変化に気づきにくい様子を「気づかないうちに、水が少しずつ温められている」状態にたとえています。渦中では気づかず、後から振り返って初めてパターンが見えたという報告も、複数の研究で共通しています。「なぜもっと早く気づけなかったのか」と自分を責める必要はありません。
02研究でわかっていること
研究では、ガスライティングが具体的にどのように進み、被害者がどの段階で違和感に気づき始めるのかが、当事者への聞き取りをもとに調べられています。
Sweet(2019年)[1]
ガスライティングを、個人の性格の問題としてだけでなく、ジェンダーや力関係の不均衡のなかで起きる心理的虐待の一種として位置づけた、この分野の基礎となる社会学の論文。相手に自分の感覚のほうがおかしいと感じさせる働きに注目し、親密な関係における力の差が、それを可能にすると論じている。
対象/性質: 社会学の理論・事例分析論文(DV被害者支援の事例をもとにした質的研究) / 限界: 心理学的な診断基準ではなく、社会学的な概念整理が中心。
Klein・Wood・Li(2022年)[2]
交際関係でガスライティングを経験したと自認する65人に調査した。多くが『愛情表現と否定的な言動が入り混じった関係』のなかでそれが起きたと語り、自己肯定感の低下や他者への不信感を報告した一方、一部は関係を離れたのちに心理的な成長を感じたとも報告した。
対象/性質: 自己申告制の質的調査(18〜69歳、平均29歳、65人) / 限界: 『自分が経験した』と回答した人のみが対象で、関係の全体像は本人の語りに基づく。
Kassing・Collins(2025年)[3]
コントロールを受けたオーストラリアの女性15人への調査で、個々の出来事は『それだけを見れば虐待とは思えない』ほど小さいことが多く、それが積み重なって初めて心理的な深刻さにつながっていた。多くの参加者が、渦中では『これは虐待だ』と気づかず、後から振り返って初めてパターンに気づいたと語った。
対象/性質: オーストラリアの女性15人への質的調査 / 限界: 少人数・自己選択的な参加者のため、一般化には注意が必要。
Duque-Sánchezら(2026年)[4]
2016〜2026年の関連論文31本をまとめたレビュー。ガスライティングは、対象とした研究のほぼすべてに共通して現れる中心的な仕組みとされ、変化がゆるやかであることや、被害者が絶えず相手の反応をうかがい行動を調整してしまうことが、渦中での気づきを難しくしていると報告されている。
対象/性質: 心理的・社会的コントロールに関するスコーピングレビュー(31論文) / 限界: 対象論文の多くが女性を中心とした研究。
Peeren・McLindon・Tarzia(2024年)[5]
性的暴力を経験したオーストラリアの女性37人への調査。参加者は、支援を受ける中で自分の経験に『ガスライティング』という名前がついたことが、自分を責める気持ちを和らげる助けになったと語った。
対象/性質: オーストラリアの女性37人への質的調査(自由記述の分析) / 限界: 相談・支援サービスの利用者が対象で、相談につながっていない人の経験は含まれない。
03見抜くサインと、身を守る小さな一歩
代表的なサインは、繰り返し謝ってしまう、会話の後にどっと疲れる、自分の記憶に自信が持てなくなる、といった変化です。診断ではなく、気づきの手がかりとして参考にしてください。
会話の後の気持ちを書き留める
パートナーと話した直後に感じたこと(疲れた、謝りたくなった、混乱したなど)を短くメモする。後で読み返すと、変化のパターンに気づきやすくなる。
所要 3分
出来事を客観的な記録と照らし合わせる
気になったやり取りを、日付やメッセージの履歴など、自分の記憶以外の記録と照らし合わせてみる。自分の記憶が信頼できるかを一人だけで抱え込まない。
所要 5分
信頼できる人に一度話してみる
利害関係のない友人や家族に、あったことをそのまま話してみる。相手の反応から、違う視点を借りることができる。
所要 15分
ごく小さな希望を一つ伝えてみる
『今日はこの話をしない』など、小さな範囲で自分の希望を伝えてみる。相手の反応の大きさそのものも、一つの情報になる。
所要 5分
相談窓口に一度連絡してみる
深刻さの判断がつかなくても、DV相談ナビ(#8008)などに電話し、状況を話してみる。相談だけでも利用できる窓口です。
所要 10分
04距離の取り方と相談先
距離の取り方に決まった正解はありません。判断に迷う段階でも、DV相談ナビ(#8008)などの公的な窓口に、状況を話すだけで相談できます。
- 友人や家族との連絡を、意識して保つ。孤立は、状況を客観的に見る力を奪う要因として研究でも指摘されています。
- 『証拠を集めなければ』と自分を追い詰めすぎない。まずは気持ちを言葉にすることから始めるだけでも十分です。
- 離れる・距離を置くという決断を、一人で急いで決めなくても大丈夫です。相談窓口は『まだ迷っている段階』でも利用できます。
05この研究から考えた、こんなアプリ
会話のあとの気持ちを記録し、変化のパターンを自分の目で確認できるアプリ
APP IDEA
たしかめノート(仮)
Before: 会話のたびに自分の感覚のほうを疑ってしまう自分 → After: 記録を振り返り、自分の感じ方の変化に気づける自分
- 会話の直後に気分・体調をワンタップで記録(疲労/混乱/罪悪感など)
- 1週間・1か月単位で記録を振り返り、変化のパターンをグラフで確認できる
- 気になった出来事を日付付きでメモし、あとから客観的に読み返せる
- つらいと感じたときは、公的な相談窓口の情報にワンタップでアクセスできる
こんなアプリがあったら使いたいですか? 感想やほしい機能は SEADICEのトップページ から教えてください。
06よくある質問
ここでは、読者からよく寄せられる疑問に、確認できた研究の範囲でお答えします。
ガスライティングは病名ですか?
いいえ。医学的な診断名ではなく、研究や支援の現場で、ある種の心理的虐待を説明するために使われていることばです。自分や相手の状況がそれに当てはまるかどうかの判断は、専門家に相談することをおすすめします。
パートナーに悪気がなくても、これにあてはまりますか?
研究の多くは、意図の有無よりも、その言動が繰り返され、相手が自分の感覚を信じにくくなっているかどうかに注目しています。悪気の有無を自分ひとりで判定しようとせず、まずは自分がどう感じているかを大切にしてください。
考えすぎなだけかもしれないと不安になります。どう見分ければいいですか?
研究では、繰り返し自分を責めてしまう、会話の後に強い疲労感が残る、といった変化そのものが気づきの手がかりとして報告されています。『考えすぎかどうか』を自分だけで結論づけようとせず、信頼できる人や相談窓口に話してみることも一つの方法です。
家族や友人との関係でも、同じようなことは起こりますか?
はい。今回紹介した研究の多くは恋愛・夫婦関係を対象にしていますが、相手に自分の感覚を疑わせるという仕組み自体は、家族や職場など、ほかの関係でも起こりうると考えられています。
出典
- Sweet, P. (2019). The Sociology of Gaslighting. American Sociological Review, 84(5), 851-875. https://doi.org/10.1177/0003122419874843
- Klein, W. B., Wood, S., & Li, S. (2022). A Qualitative Analysis of Gaslighting in Romantic Relationships. PsyArXiv preprint. https://doi.org/10.31234/osf.io/cjrpq
- Kassing, K., & Collins, A. (2025). "Slowly, Over Time, You Completely Lose Yourself": Conceptualizing Coercive Control Trauma in Intimate Partner Relationships. Journal of Interpersonal Violence, 41(3-4), 662-684. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12743119/
- Duque-Sánchez, E., Schubert, T., Garcia-Yeste, C., & Rios, O. (2026). Psychological and Social Coercion of Women in Interpersonal Power Contexts: A Scoping Review. Behavioral Sciences, 16(6), 983. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC13295606/
- Peeren, S., McLindon, E., & Tarzia, L. (2024). "Counteract the gaslighting" - a thematic analysis of open-ended responses about what women survivors of intimate partner sexual violence need from service providers. BMC Women's Health, 24, 110. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10858602/